大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成5年(あ)694号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人柳沼八郎ほか八名の上告趣意のうち、地方公務員法三七条一項につき憲法二八条違反をいう点及び地方公務員法六一条四号につき憲法二八条、一八条、三一条違反をいう点は、当裁判所の判例(最高裁昭和四四年(あ)第一二七五号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁、最高裁昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁)に徴して理由がなく、行為当時の最高裁判所の判例の示す法解釈に従えば無罪となるべき行為を処罰することが憲法三九条に違反する旨をいう点は、そのような行為であっても、これを処罰することが憲法の右規定に違反しないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二三年(れ)第二一二四号同二五年四月二六日大法廷判決・刑集四巻四号七〇〇頁、最高裁昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁、最高裁昭和四七年(あ)第一八九六号同四九年五月二九日大法廷判決・刑集二八巻四号一一四頁)の趣旨に徴して明らかであり、判例違反をいう点は、所論引用の判例は所論のような趣旨を判示したものではないから、前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

被告人本人の上告趣意のうち、地方公務員法三七条、六一条四号につき憲法二八条違反をいう点は、その理由がないことは前記のとおりであり、その余は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、刑訴法四〇八条により、裁判官河合伸一の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官河合伸一の補足意見は、次のとおりである。

私は、被告人の行為が、行為当時の判例の示す法解釈に従えば無罪となるべきものであったとしても、そのような行為を処罰することが憲法に違反するものではないという法廷意見に同調するが、これに関連して、若干補足して述べておきたい。

判例、ことに最高裁判所が示した法解釈は、下級審裁判所に対し事実上の強い拘束力を及ぼしているのであり、国民も、それを前提として自己の行動を定めることが多いと思われる。この現実に照らすと、最高裁判所の判例を信頼し、適法であると信じて行為した者を、事情の如何を問わずすべて処罰するとすることには問題があるといわざるを得ない。しかし、そこで問題にすべきは、所論のいうような行為後の判例の「遡及的適用」の許否ではなく、行為時の判例に対する国民の信頼の保護如何である。私は、判例を信頼し、それゆえに自己の行為が適法であると信じたことに相当な理由のある者については、犯罪を行う意思、すなわち、故意を欠くと解する余地があると考える。もっとも、違法性の錯誤は故意を阻却しないというのが当審の判例であるが(最高裁昭和二三年(れ)第二〇二号同年七月一四日大法廷判決・刑集二巻八号八八九頁、最高裁昭和二四年(れ)第二二七六号同二五年一一月二八日第三小法廷判決・刑集四巻一二号二四六三頁等)、私は、少なくとも右に述べた範囲ではこれを再検討すべきであり、そうすることによって、個々の事案に応じた適切な処理も可能となると考えるのである。

この観点から本件をみると、被告人が犯行に及んだのは昭和四九年三月であるが、当時、地方公務員法の分野ではいわゆる都教組事件に関する最高裁昭和四一年(あ)第四〇一号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁が当審の判例となってはいたものの、国家公務員法の分野ではいわゆる全農林警職法事件に関する最高裁昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁が出され、都教組事件判例の基本的な法理は明確に否定されて、同判例もいずれ変更されることが予想される状況にあったのであり、しかも、記録によれば、被告人は、このような事情を知ることができる状況にあり、かつ知った上であえて犯行に及んだものと認められるのである。したがって、本件は被告人が故意を欠いていたと認める余地のない事案であるというべきである。

このように、被告人は、私見によっても処罰を免れないのであり、被告人に地方公務員法違反の犯罪の成立を認めた原判決に誤りはなく、刑訴法四一一条一号に当たるとすることはできないのである。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

別紙 第五章 上告理由第五点憲法三九条の解釈適用の誤りと最高裁判所の判例違反

第一節 原判決は憲法三九条に違反しているので破棄されなければならない。

一 憲法三九条の法意

憲法三九条は「何人も実行の時に適法であった行為……については、刑事上の責任を問われない」と定める。

これは、事後法の禁止ないし遡及処罰の禁止を定めるもので、罪刑法定主義の重要な帰結の一つである。行為時に適法な行為につき、事後立法によって遡及的に処罰することは、著しく正義に反し、個人の生活をきわめて不安たらしめることになる。アメリカ合衆国憲法や古くは一七八九年のフランスの人権宣言にも同様の定めが存するが、このことは、この問題が早くから個人の自由と安全にとって重要なものと認識されていたからに外ならない。

右の趣旨から、(1)、文字通り、実行時に適法であった行為につき事後的に処罰することのみならず、(2)、実行時には適法ではなかったが、罰則が設けられていなかった場合に、後に罰則を定めて処罰すること、(3)、さらに、実行時に刑罰規定が存在した場右において、後になって、これより重い罰則規定を定めて処罰することも、本条前段の右定めに違反するものと解される。(注釈日本国憲法、上 樋口陽一ら共著、青林書院新社、八〇〇頁・憲法[3]人権(2) 芦部信喜編、有斐閣大学双書二三一頁等学説はほぼ一致している)そして、この趣旨は、判例変更による場合も含むと解されるもので、処罰範囲を拡張する方向で判例を遡及的に変更するのが不適当であることは、一般的には当然であるとされ(最高裁判所判例解説刑事篇平成元年度四一〇頁永井敏雄)、法の形成、発展の過程において判例の果たすべき役割、特に判例による法形成の効力発生時期の問題についても早くから考察が必要と指摘されてきたことも、右のことを当然の前提としてのそれであった(判例の不遡及的変更 田中英夫 法学協会雑誌八三巻七・八合併号)。

二 本件の判例変更に関する問題点と被告人らの主張

(一) 本件公訴事実により問題とされている被告人の所為は、岩手県教職員組合委員長としての

(1) 昭和四九年三月二一日

(2) 同年三月三〇日

(3) 同年四月九日

のものであり、その内容は

(1) 岩教組第六回中央委員会における決定への関与

(2) 支部役員を介しての組合員に対する指令発出伝達行為

(3) 支部役員を介しての組合員に対する指令発出伝達行為

である。

この内の(1)が、「地方公務員に対し、同盟罷業の遂行をあおることを企て」として、この内の(2)と(3)が「地方公務員に対し、同盟罷業の遂行をあおり」として地方公務員法六一条四号、三七条一項、刑法六〇条で責任が問われたものである。

(二) ところで、公知のことであるが、最高裁判所大法廷は、昭和四四年四月二日、被告人と同じ地方公務員の教職員で組織されている教職員組合の幹部についての地方公務員法違反被告事件に関し判決を行い

「東京都教職員組合が、文部省の企図した公立学校教職員に対する勤務評定の実施に反対するため、一日の一斉休暇闘争を行うにあたり、被告人らが組合の幹部としてした闘争指令の配布、趣旨伝達等、争議行為に通常随伴する行為に対しては、地方公務員法六一条四号所定の刑罰をもってのぞむことは許されない」との判示をなし、これが判例として確立されていた(昭和四一年(あ)第四〇一号同四四年四月二日大法廷判決)

他方、本件記録に明らかなとおり、被告人は右最高裁判所大法廷判決に先だつ同年二月一九日、仙台高等裁判所第一刑事部で、昭和三六年一〇月、文部省が企図した全国一斉学力調査を岩手県下の各市町村教育委員会が実施するにあたり、これが実施に反対し、岩手県教職員組合傘下の組合員である市町村立中学校教職員をして、これが実施を阻止する争議行為を行わしめるため、同組合執行委員として「指令」「指示書」を発出し、もって地方公務員である教職員に対し、争議行為の遂行をあおったとして地方公務員法六一条四号の刑事責任を問われていた事実につき、無罪の判決を受けており、その判断は、基本的には、二ヶ月後に示された前記最高裁判決に包摂される内容のものであった。

(三) しかるに、右無罪判決に対しては、検察官から上告がなされていたが、その後、判決の言渡がないままに経過し、昭和四四年から七年を経た昭和五一年五月二一日、最高裁判所大法廷は判決を言渡した。

その中で

「地方公務員法六一条四号は、地方公務員の争議行為に違法性の強いものと弱いものとを区別して前者のみが右法条にいう争議行為にあたるものとし、また、右争議行為に通常随伴する行為を刑事制裁の対象から除外する趣旨と解すべきではない、いわゆる都教組事件についての当裁判所の判決は上記判示と抵触する限度において変更すべきものである」と判示した。

(四) そこで、右の昭和五一年五月二一日に示された新しい判旨を昭和四四年四月二日以降昭和五一年五月二一日までになされた行為に適用することができるかという問題が生じたのである。

そして、正に被告人の組合幹部としての昭和四九年三月から四月にかけての本件所為が、右期間内の所為として、しかも、昭和四四年四月二日の最高裁判所の示した判旨によれば、組合幹部の所為として刑事責任を問われないものと解されるところ、昭和五一年五月二一日の最高裁判所の示した判例が右の先例を変更し、且つ、処罰範囲を拡大する方向でのそれであった故に、判例不遡及的変更に該る場合ではないかということで、検討を必要とすることになったものである。

(五) 被告人らは、この点につき審理の冒頭から被告人らは昭和四四年四月二日最高裁判所の判断が行動基準であり、本件は嫌疑のない事案について被告人らの所属する組合を弾圧する違法な政治的目的のもとに捜査・訴追がなされたものであるので、本件は公訴棄却されるべきものであると主張してきたところである。(一・二審弁論要旨)

三 原判決の判示とその誤り

原判決は、第一審判決を破棄しているが、検察官の控訴趣旨に対する裁判所の判断の項でも、特に、地方公務員法三七条、六一条四号についての積極的判示をすることなく、原判決を破棄、有罪の自判を行い、わずかに弁護人の主張に対する判断を示す項の中で法的見解を示すにとどまっている。

特に本件行為時において、いわゆる都教組事件判決(最高裁昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決刑集二三巻五号三〇五頁)の判旨が変更されず、有権的に存在しており、仮りに将来判例変更が予測できたとしても、検察官が右判例を否定するような拡大・拡張解釈する形で犯罪の嫌疑を拡大し、捜査を行うことは、罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反し、許されないとして、他の要件と相俟って本件公訴提起は、違法・不当なものとして公訴権の濫用であるから公訴棄却されるべきであるとの弁護人の主張に対して、「本件の被告人のような行為に地方公務員法六一条四号を適用することが合憲であることは、本件ストライキの約一年前になされた最高裁四・二五判決を先例としてほぼ予測できたところであり、検察官が最高裁四・二五判決の考えに立って、その職務を行ったことが、憲法三一条その他法条に違反するとは言えない」とし、さらに、「地公法三七条一項の争議行為等一律全面禁止規定及び同法六一条四号の罰則規定が所謂憲法の各規定に違反するものでないことは、最高裁判所の強固に確立した判例であり(前出最高裁五・二一判決・昭和六一年(あ)第二〇四号、平成元年一二月一八日第一小法廷判決・刑集四三巻一三号八八二頁、昭和六三年(あ)第六九九号、平成二年四月一七日第三小法廷判決・刑集四四巻三号一頁、なお前出最高裁四・二五判決・最高裁五・四判決参照)この結論については、当裁判所もこれと別に解すべき格別の理由は見い出せず、右最高裁判所の判旨を踏襲すべきものと考える」と判示する。

原判決の右判示から明らかなように、原裁判所は、地方公務員法に関する最高裁昭和四四年四月二日の大法廷判決の先例としての意味と、その変更の効力等について考察を加え、最高裁昭和五一年五月二一日判決によって、右先例のどの部分が変更されたのか、その間になされた最高裁昭和四八年四月二五日大法廷判決は、本件についての先例性を有するのかどうか、本件について意義を有する判旨はどれかなどについては全く考察を欠落させている。

ところで、最高裁判所大法廷昭和四八年四月二五日判決は、「憲法二八条は『勤労者の団結する権利及び団体交渉その他団体行動をする権利』すなわちいわゆる労働基本権を保障している。この労働基本権の保障は、憲法二五条のいわゆる生存権の保障を基本理念とし、憲法二七条の勤労の権利および勤労条件に関する基準の法定の保障と相まって勤労者の経済的地位の向上を目的とするものである。このような労働基本権の根本精神に即して考えると、公務員は、私企業の労働者とは異なり、使用者との合意によって賃金その他の労働条件が決定される立場にないとはいえ、勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものである点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法二八条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶものと解すべきである。ただ、この労働基本権は、右のように、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであって、それ自体が目的とされる絶対的なものではないから、おのずから勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地から制約を免れないものであり、このことは、憲法一三条の規定の趣旨に徴しても疑いのないところである(この場合、憲法一三条にいう『公共の福祉』とは、勤労者たる地位にあるすべての者を包摂した国民全体の共同の利益を指すものということができよう。)」と判示したあとで、以下、この理を、さしあたり本件において問題となっている非現業の国家公務員について詳述すれば、次のとおりであるとし、第六点の上告趣旨に対する判断の中で「いわゆる全司法仙台事件についての当裁判所の判決(昭和四一年(あ)第一一二九号、昭和四四年四月二日大法廷判決刑集二三巻五号六八五頁)は、本判決において判示したところに抵触する限度で、変更を免れないものである」と判示しているに過ぎない。

しかも、この判決は、周知のように八名の裁判官による多数意見が、国家公務員の争議行為およびそのあおり行為等を全面一律に禁止することも憲法二八条に違反するものではないという判断を前提として、国家公務員法一一〇条一項一七号を限定的に解釈することは許されないとし、基本的には限定解釈の線を維持しようとする七裁判官の意見を一票差で制して、昭和四四年四月二日の全司法仙台事件判決を変更したのであるが、この多数意見で変更が明示されたのは、右全司法仙台事件判決のみであり、昭和四四年四月二日の都教組事件判決については、罰条を異にする地方公務員法違反に関するものであったため、とくに言及されていない。

勿論、それが全司法仙台事件判決と「その基本的立場が共通である」からその限度で影響を受けるであろうことは否定しえないが、判例としては変更されたものではない。

前記のとおり、昭和四四年四月二日の都教組事件判決による判例が変更されたのは、昭和五一年五月二一日の最高裁判所によってはじめてであったものである。

そして、本来、この判決の中で、最高裁判所は昭和四四年四月二日以降、昭和五一年五月二一日までに行われた行為には、今回の地方公務員法に関する判旨は適用しない旨を明らかにすべきであったし、その後、この期間の行為に対する刑事訴追がなされたときは、裁判所は、都教組事件判決の判旨に従って、刑事制裁を科するか否かを決定しなければならなくなったものの筈である。(田中英夫、ジュリストNo.五三六 判例変更をめぐる諸問題参照)

しかるに原判決は、右のような視点についての考察を全部欠落させ、単純に昭和五一年五月二一日の最高裁判所大法廷判決の「変更後の判旨」で、被告人の本件所為を判断する誤りを犯してしまっている。

これが誤りであることは明らかである。

第二節 原判決は、最高裁判所の判例に違反しているので破棄されなければならない

一 最高裁判所第一小法廷昭和六二年七月一六日決定(刑集四一巻五号二三七頁)の意義

右決定は違法性の意識の欠如と犯罪の成否の関連について、第一審判決が「違法性の意識がなく、そのことに相当の理由があるといい得るためには、確定した判例や、所管官庁の指示に従って行動した場合ないし、これに準ずる場合のように自己の行為が適法であると誤信したことについて行為者を非難することができないと認められる特段の事情が存在することが必要である」といい、控訴審判決が例外的に犯罪の成立が否定されるべき特別の事情が存在する場合として、「本件の刑罰法規に確立していると考えられる判例や所管官庁の公式見解又は刑罰法規の解釈運用の職責のある公務員の公の言明などに従って行動した場合ないし、これに準ずる場合などに限られる」としてこのような事情の下で「違法性の意識を欠いた場合には、犯罪の成立が否定される」と判示したことを支持し、本件の事実関係の下では、行為の違法性の意識を欠いていたとしても、第一審判決、控訴審判決が判示するように、それについての相当な理由がある場合とは言えないと判示し、違法性の意識の欠如が犯罪の成立を否定する場合の存することを明らかにした。

右決定は、違法性の錯誤と犯罪の成否について実務上の基準を示したものとして意義の大きいもので、今後のリーデングケースになるであろうとされるものであるが、これは、判例変更による処罰範囲の拡大の場合には、その判例の適用は、判例変更後の行為についてのみに限られるべきであることを示すもので、遡及的適用禁止を当然に支える判例的意義を有するものと解される。(最高裁判所判例解説刑事篇六二年度一三八頁・平成元年度四一〇頁)

二 本件における違法性の意識に関する問題点と弁護人の主張

(一) ところで、被告人の本件所為は、前記のとおり昭和四九年四月一一日、同月一三日のストライキに関連するということで問擬された組合幹部としての所為であり、適用法令は地方公務員法三七条、六一条四号である。

この時、右適用法令に関して判例として確立していたものは、いわゆる東京都教組判決といわれる昭和四四年四月二日の最高裁判所大法廷判決で示された判旨であり、それによれば、地方公務員労働組合の通常の争議行為に関し、通常随伴する役員らの行為は、刑罰の対象にはならないというものであった。

ところで、被告人は、これより先き、岩教組の執行委員として、昭和三六年一〇月の全国一斉学力調査反対闘争に関する件で、地方公務員法違反ということで、訴追を受けていたが、昭和四四年二月一九日、仙台高等裁判所第一刑事部において無罪判決の言渡を受けていたことは前記のとおりである。

さらに、右最高裁判所大法廷判決が言渡された後には、検察庁が全国各地において、係属していた地方公務員法違反被告事件につき、公訴を取消し、また控訴を取下げるなどのことが行なわれ、わずかに残されたのは、最高裁判所に係属する事件のみであり、それについても上告棄却の判決が相次ぎ、被告人らの文部省の全国一斉学力テスト反対闘争に関する事件だけが残された形になってはいたが、同じ闘争に関連する他労組員が被告人になっている事案も最高裁判所に係属していたので、それらの事情が判決の遷延している事情であろうと推測される状況であった。

(二) このような情況の下で昭和四八年四月二五日、最高裁判所大法廷判決により、前記のとおり、昭和四四年四月二日のいわゆる全司法仙台事件の判例が変更されるにいたったのである。

しかし、この判決については、第一に国家公務員法違反の被告事件である、第二に、闘争目的が警察官職務執行法改正反対に関するものであるということもあり、これは、被告人ら地方公務員の通常の組合活動上の争議行為とは要素を異にするという理解の下に、被告人らとしては、都教組最高裁判所判決の示す判旨に従って行動した本件所為については、違法視されることはないものとの確信の下に本件の場合も行動していたのである。

(三) それ故、スト当日の昭和四九年四月一一日から本件捜査が全国的に開始され、且つ、全国六五〇万人の人々が行動したこの闘争に関し、日教組のみが捜査の対象とされ、すでに国家公務員法の判例が変更されたにも関わらず、公務員共闘会議に結集し、当日、行動した一九八万二〇〇〇人の労働者の中の国家公務員については、一切の捜査も行なわれない事実を目のあたりにして、被告人らとしては、嫌疑のない事実について、政治的弾圧の目的の下に、捜査が行なわれたものと理解し、抵抗闘争を組織し、訴追後は公訴棄却の申立を審理に冒頭から行い、この訴追自体を問題にしてきたものである。この時の被告人には、本件所為が、違法視されるのではないかとの意識は全くなく、正に嫌疑の存しないところを無理に訴追する弾圧としか理解できなかったものである。

(四) 従って、仮りに、被告人の本件所為が昭和五一年五月二一日の最高裁判所判決の判旨によって律せられるとしても、昭和四四年四月二日の最高裁判所判決の判旨に従って行動していた被告人には、違法性の意識が欠けており、そのことに相当な理由があった場合に該当するのではないかと思料されるもので、この点の検討がなされなければならなかったものである。弁護人らは、この点について第一審の公訴棄却の申立以来、重ねて主張してきていたところである。

三 原判決の判示とその誤り

原判決は、いわゆる東京都教組事件昭和四四年四月二日判決は、最高裁判所昭和五一年五月二一日判決により変更されたと判示し、これを根拠に被告人に対し、今度はじめて有罪判決を言渡し、処罰範囲を拡張する方向での判例変更後の遡及的適用を容認した。そして、その判示の中で昭和四八年四月二八日の国家公務員法違反被告事件により同種判例の変更、処罰範囲拡張の方向での変更が予測されていたから、このような訴追も許されるとの判示を行っている。

しかし、これは、明らかに憲法三九条の定める原則に違反し、且つ、違法性の意識に関する前記最高裁判所判例にも反するもので到底容認できるものではない。

第一審判決は、被告人の公訴棄却の申立を却りぞけたが、被告人に無罪の言渡しをなしている。しかるに原判決は、この無罪判決を破棄し、被告人の右の主張に対する判断も、前記のとおり、非常に大雑把な判示にとどまり、弁護人の第一審弁論における主張を吟味することなく、ただ、昭和四八年四月二五日及び昭和五一年五月二一日の最高裁判所の判旨に追従して、前述したような刑事法上の諸原則についての判断を全部欠落させてしまっている。

原判決が破棄されなければならない所以である。

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